自分の整え方・マインドフルネス

成長する心を養う

自分や人も大切にしながら、成果も出したい。その想いから、つい自分を犠牲にしていませんか?責任ある立場にある方は、一人で抱えることも多く、業務の負担だけではなく、心も疲弊しがちですよね。

なぜ、伝わらないんだろう?と悩んだり、これでいいんだろうか?と判断に迷ったり。思うようにいかないことに落胆し、燃え尽きそうになることも。

日々、仕事をしたり暮らす中で、正解がない事例に向き合わなければいけないときなど、適切な行動を選択することや他者と良好な関係を築くことは難しいです。そうした状況においても振り回されることなく、最適な意思決定や行動を行うために、どんな状況においても、自分を見失うことなく本来の自分であり続けることが大切です。

自分を犠牲にすることなく、自分も人も大切する心の成長につながるマインドセットを持ち続けられたら、成長と自信につながると思いませんか?

そんな日々のあり方、考え方で、環境に振り回されなくなる心を養う3つのコツです。

自分ができることに集中する

自分がコントロールできること

悩んでいるとき、迷っているとき、行き詰まりを感じているとき、自分ではコントロールできないことに心を奪われていることはありませんか?

もっと優秀な人が入れば、相手にもっと理解があれば、もっと便利な場所なら、もっと環境が整っていれば、と。

野球の松井選手が現役だった頃、インタビューでこんなこをと話していました。

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インタビュアー:「松井さんは、プレッシャーのかかる場面で打たなければいけないときでも、結果を残されていますよね。スタンドのヤジもすごい中、緊張しないのですか?」

松井選手:「もちろん、僕も緊張しますよ。ヤジが気にならないわけではありません。ですが、自分がコントロールできないことを気にしても仕方ありません。自分がコントロールできることに集中するだけです。たとえば、どんな場面でも結果を出せるよう、日々トレーニングに励むといったこととか」

(注:細かい言葉は違うかもしれませんが、話の本質はこうしたものでした)

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だから、結果を出せているんだとあらためて強く感じたインタビューでした。

それ以来、私も

・自分がコントロールできること、できないことを切り分ける。
・コントロールできないことは手放して、コントロールできることに専念する

を忘れないようにしています。

「自分がコントロールできることに集中する」と決めていると、やることも明確になり、心がとてもすっきりして、周囲の影響を受けにくくなるので、おすすめです。

 

脚下照顧

禅でも「脚下照顧」という言葉があります。

「自分の足元をよくよく見つめる。他に向かって理屈を言う前に、まず自分を振り返り、身近なことから気をつける。」また「足元を見つめなさい。思い通りにならない未来に不安を抱いても仕方がない。自分の立ち位置を確認し、今できることに全力を注ぐ。未来は現在の延長にある」という捉え方もあるようです。

これも自分への戒めの言葉として、目につくところに貼っている言葉の1つです。

ジャッジしない

様々な経験を重ね、結果も出してきていると、その経験がベースになり、無意識のうちに「こうあらねば」と思っていることがいくつもあります。

自分にとっての理想、正しさに厳しくなりすぎると、自分や他人の行動、思い通りにいかないことに、無意識に瞬間的にダメ出しをしたり、否定するようなジャッジをしてしまいがちです。それって苦しいですし、いい方向にはいかないものですよね。

良い悪い、正しい正しくないの意味づけは、自分の視点、立場、経験からくるものですが、視点、立場、経験は人により異なります。自分自身でも立場が変われば、それが変わるかもしれません。

思うようにいかない出来事に対して、イラだったり、落ち込んだり、迷ったとき。「良い悪いの意味づけをせず、まず、その事象をありのまま受け止める」ことから始めてみませんか?ただ、そのことが起きているという感覚です。

そうして「では、自分はどうするか?」と考えてみる。反射的に良い悪いと感情的に判断しないことで、これまでであれば、ストレスに感じにくくなりますし、浮かばなかったような発想も出てきやすいですよ。

自分の美意識を信じる

責任が増え、影響力が増すほど、重要なシーンで決断を求められることも増えてきます。どの選択肢も100%の正解ではないときは、本当に悩みますよね。会社の利益や体裁、様々なプレッシャーが絡んでくると一層です。不祥事などは良い例かもしれません。どう対応するのか?どこまで発表するのか?いつ発表するのか?客観的に冷静に判断することが難しくなります。

難しい判断を迫られたとき、条件や損得で決めようとせず、「その決断は美しいと思えるか?」と自分の美意識と照らし合わせてみてはどうでしょう?

私は企業で働いていた頃、システムに不具合が発生した場合、そのリカバリーと顧客対応の方向性を調整する役割も担っていました。大なり小なりバグが起きるたびに、どんなアクションとるのか?(バグの修正タイミング、顧客への連絡内容、必要であれば商品の出荷手配等)の基本方針を相談し、取締役らの承認をとるのですが、様々な部門に影響が出るケースでは、頭を抱えることも多かったです。

そんなとき、いろいろな声に振り回されないよう、私が判断の軸としていたのは、「この決断は、自分の決断として、社外の人、家族にも誰にでも堂々と言えるものだろうか?」ということでした。

顧客向けの企画や販促物に対し、顧客志向ではなく会社都合に偏っているものに対し、改善の提案をする際も基準は同じでした。

それがなぜ「美意識」なのかといえば、この本が気づかせてくれました。

「世界のエリートはなぜ、美意識を鍛えるのか?」

今になって思えば、難しい判断をするとき「この決断は、自分の決断として、社外の人、家族にも誰にでも堂々と言えるものだろうか?」ということを軸にしていた感覚は、この本にある「その決断は美しいか」と思える感覚であり、私なりの「美意識」だったことに気づいたのです。

取り決めやルール、条件を参考するにしても、最終的には「美意識」として考えると、ブレることがなくなりスッキリしますよ。

まとめ

責任ある立場で働く方はプレッシャーを抱えがち。本来のニュートラルな自分で、日々起きることに対し、できる限り最適な決断ができる状態でいるには、ストレスを抱え込みすぎず、心を養うことも大切です。

・自分がコントロールできることに集中する
・反射的にジャッジしない
・美意識を持つ

わずかでも参考になれば幸いです。